ツイッターに書ききれないことを書くところ

ツイッターに書ききれないことを書きます

ラジオヘッドと、中学英語の長文読解と、英語を勉強しに大学へ行くことについて

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久しぶりにレディオヘッドを聴く。

僕のレディオヘッドとの初めての出会いは確か、中学生くらいの時に市の図書館で『Kid A』のアルバムを借りたことだったと思う。善き洋楽齧りたてボーイとして、オアシスとかグリーンデイばかり聴いていた。そこから少しずつ広げるには、いきなり『Kid A』は味が違いすぎた。オアシスが、砂糖がたくさん入った紅茶みたいな音楽だとしたら、はじめてのレディオヘッドは渋みのある無糖に感じられたとでもいえるだろうか。

とにかく、中学生のときにレディオヘッドを聴くことはそれ以降なかったんだけれど、一度だけ予期せぬタイミングで再会した。それはなんと県内模試の英語の問題だった。

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人生初の海外旅行について・モロッコ編(後半)

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旅行記も週一ペースでゆっくり書いていたら、そろそろ一ヵ月も経つのに完結していないということになってしまっていた。もう記憶もだいぶ薄れてしまっているが、前回の記事に「前編」とつけてしまったことだし、一応覚えていること、思ったことを書き留めておきたいと思う。ジブラルタル編はもういいや。

フニデク(Fnideq)というのが、僕らが訪れた都市の名前だ。もっともこれはあとで知った。インターネット接続がなくてもGPSは使えたので、場所の情報を保存しておいて後から調べたからだ。

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人生初の海外旅行について・モロッコ編(前半)

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「アフリカの土を踏む」ということしか考えていなかったので、ろくに下調べもせずにモロッコに行った。今になって考えると、インターネットに頼れるポルトガル国内旅行と同じ感覚で行ったのは無鉄砲だったとしか言いようがない。そういう性向は時にとんでもないアドバンテージになるのだろうが、僕が持つ無計画さは決して良い方向に転がらないタイプのやつだ。

とにかくそれがすぐに災いした。

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人生初の海外旅行について・マラガ編

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スペイン南部、アンダルシア地方最大の都市セビーリャを後にし、バスでさらに東へ、海岸都市マラガへと向かった。マラガの人口は56万人ほどで、リスボンとほぼ同じ。日本でいうと中規模の県庁所在地程度だ。

マラガではAirbnbを予約していたけれど、チェックイン時間を過ぎても1時間くらい経つまでホストと連絡が取れない。まさかここにきて道で寝るのか?近くにホステルもあったが、一泊80ユーロは高すぎる。建物の前に友達と座ってひたすら待った。

心配無用、バイクで買い出しから帰ってきたおばちゃんに迎えられ、無事に寝るところを確保した。僕はさっき着いたところですよと笑顔で言った。

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人生初の海外旅行について・セビーリャ編

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4月の中盤はスペイン、モロッコ、ジブラルタルと旅行に行っていた。3ヶ国行っても交通費の合計が大学から実家への帰省よりも安いくらいだというのは、日本の交通費は高いなあという見方ももちろんできるけれど、それ以上に日本という国のスケール感をはじめて外から感じることができたといえるかもしれない。周りが大国ばかりだからだろう、小さい頃の僕は日本ってなんて小さい国なんだと思っていたし、そのイメージをずっと引きずってきたきらいもあるが、そうではないなと。リスボンからセビーリャまでの距離は、僕の大学から実家までの距離の半分に満たない。

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中国語の部屋と、1+1=2の証明と、「東ロボくん」について

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前に一度、同じ言葉でも個々人の経験によって使い方などは変わってくるのだ、という当たり前のようなことを書いたが、これが実は結構面白いことだったと知った。言語学でいうところの、「推論モデル」という考え方に、知らず知らずのうちに触れていたということになる。

辞書的な意味を言葉に固定してしまう「通信モデル」では、たとえば、皮肉や間接的なお願いなどのコミュニケーションの説明がつかない。受け取り手が経験に拠って意味を推論することではじめて、複雑なコミュニケーションが成立するのだ。前の記事でも触れた『バカの壁』の「話せばわかる、は大ウソ」も、この考え方と通じるだろう。

今回は「通信モデル」の考え方からはじめて、少し別のテーマについても考えてみたい。

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バンクシー風の落書きと、1リットルのサングリアと、地下鉄で考えたことについて

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リスボンに越して2ヵ月が経とうとしている。ふと、新しい音楽を全然聴かなくなってしまっていることに気づいた。

だんだん、生活に目新しさがなくなってきたのが原因か。それとも、新しい音楽を聴かなくなったことが、生活に目新しさがないように感じる原因なのか。

おそらく両方なのだ、と思う。大学への毎日の同じ景色にしても、たとえばヴェルヴェット・アンダーグラウンドを聴いているときと、レッチリを聴いている時では、気分も変わってくるものだ。大学への広い上り坂、バンクシー風の泣いている女の子の落書きが目の前に、青い空に飛行機が斜め後ろから、同時に視界に入り、『キャント・ストップ』にその飛行機の音が重なった時、なんだか高揚感を感じたことがある。それはまるで映画のワンシーンにもたとえられるような、奇麗な瞬間だった。

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