ツイッターに書ききれないことを書くところ

たまに書ききれそうなことも書きます

携帯電話がなかったころの待ち合わせと、留学前半の終わり

スマートフォンはおろか、インターネットも普及していなかった頃の待ち合わせとはどういうものだったのだろうか。

『変身』と、『皮膚と心』と、蚊帳が出てくる小説について

ある朝、目が覚めると僕は自分の右眼が腫れあがっていることを発見した。 フランツ・カフカの『変身』みたいな書き出しならこんな感じになる。(こんな感じだっただろうか?) 僕の場合は幸いにして虫になっていたわけではないが、寝ている間に虫にやられたの…

二十一歳と、『17歳』と、20歳(体感時間における人生の半分)について

"二十一歳の彼女は今日も歌を歌ってる"と始まる、斉藤和義の『アゲハ』という曲がある。先日これを聴いていて、そういえば自分もう21じゃないかと気づいた。ちょっと狼狽にも似た心持がした。

誰かと別れるときには何と言うべきか?

誰かと別れるときはいつも、最後に何を言っていいかわからなくなって困ってしまう。 皆、日本に行くことがあったら連絡するから、とか、ここに来てくれたら案内するから、という。しかしその言葉をきくのがいちばん切ない。ほとんどのことはどうせ実現しない…

日本の国債と、ギターのペグの並びと、『1984』について

最近、このブログの一番最初の記事を読んでくれたという人に会った。この機会に昔の記事を読み返してみた。 昔のほうが勉強したことをなんとか記事に盛り込めている気がした。一番最近の記事なんて完全に自分の事しか書いてない。日本語を練習するという名目…

イスタンブールの奇跡と、クラス対抗サッカー大会と、中高の部活について

サッカーUEFAチャンピオンズリーグの決勝を見た。ユベントスとレアル・マドリー。前半はユベントスのほうが優勢に見えたけれど、後半は全く違うゲームになってしまった。 ところで、こちらで友達とサッカーの話をすると、やはり生まれた場所に近いチームを応…

DJによるポルトガル国歌と、レコンキスタを象徴する七つの黄色い城について

久しぶりに度が過ぎる飲み方をした。気持ち悪さと闘いながらベッドの上で書いている。何故か強めに煙草の臭いがする。一番危険なファイナルが月曜に迫っているというのに。もっとスマートにやりたい。 タクシーの助手席に乗り込んだことははっきりと覚えてい…

ラジオヘッドと、中学英語の長文読解と、英語を勉強しに大学へ行くことについて

久しぶりにレディオヘッドを聴く。 僕のレディオヘッドとの初めての出会いは確か、中学生くらいの時に市の図書館で『Kid A』のアルバムを借りたことだったと思う。善き洋楽齧りたてボーイとして、オアシスとかグリーンデイばかり聴いていた。そこから少しず…

人生初の海外旅行について・モロッコ編(後半)

旅行記も週一ペースでゆっくり書いていたら、そろそろ一ヵ月も経つのに完結していないということになってしまっていた。もう記憶もだいぶ薄れてしまっているが、前回の記事に「前編」とつけてしまったことだし、一応覚えていること、思ったことを書き留めて…

人生初の海外旅行について・モロッコ編(前半)

「アフリカの土を踏む」ということしか考えていなかったので、ろくに下調べもせずにモロッコに行った。今になって考えると、インターネットに頼れるポルトガル国内旅行と同じ感覚で行ったのは無鉄砲だったとしか言いようがない。そういう性向は時にとんでも…

人生初の海外旅行について・マラガ編

スペイン南部、アンダルシア地方最大の都市セビーリャを後にし、バスでさらに東へ、海岸都市マラガへと向かった。マラガの人口は56万人ほどで、リスボンとほぼ同じ。日本でいうと中規模の県庁所在地程度だ。 マラガではAirbnbを予約していたけれど、チェック…

人生初の海外旅行について・セビーリャ編

4月の中盤はスペイン、モロッコ、ジブラルタルと旅行に行っていた。3ヶ国行っても交通費の合計が大学から実家への帰省よりも安いくらいだというのは、日本の交通費は高いなあという見方ももちろんできるけれど、それ以上に日本という国のスケール感をはじめ…

中国語の部屋と、1+1=2の証明と、「東ロボくん」について

前に一度、同じ言葉でも個々人の経験によって使い方などは変わってくるのだ、という当たり前のようなことを書いたが、これが実は結構面白いことだったと知った。言語学でいうところの、「推論モデル」という考え方に、知らず知らずのうちに触れていたという…

バンクシー風の落書きと、1リットルのサングリアと、地下鉄で考えたことについて

リスボンに越して2ヵ月が経とうとしている。ふと、新しい音楽を全然聴かなくなってしまっていることに気づいた。 だんだん、生活に目新しさがなくなってきたのが原因か。それとも、新しい音楽を聴かなくなったことが、生活に目新しさがないように感じる原因…

山崎邦正100つっこみと、漫才のアイデアと、千鳥の「どういうお笑い?」について

お笑いを語ると嫌われる――というか、まあ何についてにしろオピニオン記事というのは読んでいて疲れるものだ。ただ何故だろう、お笑いを解説することほどエラそうに見えることもないような気がする。たとえば、M-1の分析とか。しかし僕はこういうのが好きで結…

黒猫のジンクスと、宅急便と、猫界のインターカラーについて

むかしどこかで「黒猫に出会うと不幸が訪れる」のようなことを読んだとき、幼いながらに黒猫の不遇さを嘆いたことがある。たとえば猫が顔をこすると雨が降るとか、そういうのならまだジンクスとしてわかる(そしてたしかこれには理由があったんじゃなかったか…

震災と、コンタクトレンズの注文と、想像力の限界について

こちらは、まだ3月11日だ。 僕が何か書いたところで、それが多くの人の目に触れるほど、このブログに影響力はない。それに、お金になることでもない。でも、たまに小難しいことを書いて、フェイスブックでセルフシェアなんかして、たとえば意外な人からの「…

トランプ現象におけるフェイクニュースと、イタリア語での悪口と、我ながら的を得た意見について

先日、BBCかどこかのウェブメディアでフェイクニュースの特集をやっていた。せっかくの機会なのでフェイクニュースについて色々と読んでみた。 今、僕たちは「post-truth」の時代に生きていると言われている。情報の正確さよりも、いかに読み手の読みたいも…

鳩の喧嘩(嘴を相手の首にぐさぐさと刺し合う)について

早起きしすぎる休日、というのがある。休日が楽しみで仕方がなかった、子供のころの感覚がふと体によみがえったのか。それともアルコールが入ったことで水分が足りなくなり、体が渇きを感じて目が覚めるのか。多分後者だが、ここでは前者だということにして…

行列のできるパステル・デ・ナタの店と、テスト範囲の文学史と、世界の半分くらいある南極大陸について

そういえば、観光地を回ろう、と思ったことがあまりない。 国内のいくつかの有名な観光地には行った。アルファマ、ベレンの塔、発見のモニュメントなど。しかし、アルファマに関しては自分からふらりと立ち寄ったものの、ほかの場所に関しては行きたいという…

死と、永遠の生と、カート・コバーンについて

「何かを残したい」という気持ちは、ある意味で不死というものへのあこがれと背中合わせなのだろうか。

海外で風邪をひくことと、そのBGMと、ファッキンでかいテレビジョンについて

金曜日の朝から熱を出してしまい、せっかくの週末を無駄にしてしまった。こんなときフラットメイトの優しさを感じられて嬉しいが(半ば強引に勧められたブラジルの風邪薬だけがちょっと怖かった。僕は普段、風邪では薬を飲まないので)、夜になると彼らもみな…

パーティーでなくなったiPhone7と、画面に現れた「容疑者」の意味について

数日前の話になる。 僕たちのフラットで、退去するイタリア人のお別れパーティーがあった。フラットメイトであった僕と、ブラジル人の男性二人、ペルー人の女性一人も参加していた。友達の友達が呼ばれ、参加者は30人を超えていたと思う。ホームパーティーが…

語学と、ウィトゲンシュタインと、小さな食堂で食べる夕方5時のランチについて

前回の文章を、日本語を勉強している人が見てくれているとは思っていなかった。巧さという面でもそうだが、内容に対して分量が長すぎたことはとてもよくなかった。文章と話の長さは必要最小限にしなければ、と思いながらどうしても長々となってしまうものだ…

葛飾北斎と、量子論と、アイリッシュパブについて

ポルトガルに到着して一週間がたち、授業も大体要領がわかってちょっと気を抜くようになってきた。マネジメント基礎の講義はかなりゆったりとしたリズムで流れることもあり、クラスの様子をぼんやり眺めていると、隣の学生が落書きをしていた。それは、なん…