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ツイッターに書ききれないことを書くところ

ツイッターに書ききれないことを書きます

バンクシー風の落書きと、1リットルのサングリアと、地下鉄で考えたことについて

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リスボンに越して2ヵ月が経とうとしている。ふと、新しい音楽を全然聴かなくなってしまっていることに気づいた。

だんだん、生活に目新しさがなくなってきたのが原因か。それとも、新しい音楽を聴かなくなったことが、生活に目新しさがないように感じる原因なのか。

おそらく両方なのだ、と思う。大学への毎日の同じ景色にしても、たとえばヴェルヴェット・アンダーグラウンドを聴いているときと、レッチリを聴いている時では、気分も変わってくるものだ。大学への広い上り坂、バンクシー風の泣いている女の子の落書きが目の前に、青い空に飛行機が斜め後ろから、同時に視界に入り、『キャント・ストップ』にその飛行機の音が重なった時、なんだか高揚感を感じたことがある。それはまるで映画のワンシーンにもたとえられるような、奇麗な瞬間だった。

 

見ているものは同じだとしても、音楽が変わるだけで様々なシーンになるというのなら、やはりたくさんの音楽に出会いたい。それは、様々なところを旅行することにも等しいことではないか。しかし、新しい音楽に出会うということに努力を必要とする、そんな時期もある。YouTubeで馴染みの動画の波から離れることに無理をする時期がある。それが、生活が落ち着いてきた今なのだろう。Spotifyにお金を払っているということだけでも、多少はその意欲が増すが。

そんなことを考えていた先週の日曜日、「ジャムセッションナイト」というイベントに誘われたので、新しい音楽に出会ういい機会でもあるかと思い、行ってみた。実際は、ジャムセッションは少しだけで、ほとんどは有名な曲をアコースティックギターエレキギター、ベース、サックスと歌でカバーしていくというものだった。

そこはジャズバー、というのだろうか。いくつかの部屋に分かれているが、建物全体に音が響くようになっている。僕たちは演奏が行われているのとは別の部屋で、椅子を持ち寄ってサングリアを飲んだり、時にはステージの前まで演奏を見に行ったりしていた。

ある曲が流れた時、友達の一人が「これ、大好きな曲だ」と言って、僕を演奏が行われている部屋に連れていった。それはエイミー・ワインハウスの『ヴァレリー』という曲だった。大好きなギターだ、大好きなメロディーだ、と思った。

 

そして、その曲を聴いたときなぜか、自分は一人なんだな、ということが強烈に意識されてしまった。それは不思議だった。その場の状況だけ考えると、僕は別に一人ではなかったのに。それにこの曲は決して暗い歌ではないと思う。割と盛り上がっていたし。しかし、日本からものすごく離れたところにいる、ということ、こちらでできた友達も、日本に帰れば会えなくなってしまうんだな、ということが、急に僕の頭をガツンと叩いたように感じられた。

ああ、一人なんだな、と思った。でもそれはただマイナスの感情だというわけではなく、同時に晴れ晴れしくすらあった。どういうことなのかは、よくわからなかった。

部屋に帰って、コメを炊きながらキッチンで『ヴァレリー』を流した。するとフラットメイトのひとりに「それこのまえ私が流してて、あなたが好きって言った曲じゃない?」と言われた。そうだったっけ?

 

結局のところ無理をしなくたって、アンテナを鈍らせてさえいなければ、新しい音楽も、それが引き起こす新しい感情も、意外と身近なところにあるのだ。

音楽:Valerie (3/26に演奏されていた、もう二度と聞けないやつ) - Amy Winehouse