ツイッターに書ききれないことを書くところ

ツイッターに書ききれないことを書きます

生活は続く、恥ずかしい文章も続く

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12月は一瞬で過ぎた。気づいたら月末かつ年末で、留学も終わりかけで、僕はフランクフルトからパリに向かう列車の中にいる。一度乗り換えがあって、寝過ごすとスイスまで飛ばされてしまうので寝ようにも眠れない。

2017年は僕にとって、その大部分を海外で過ごす年になった。留学を振り返って思うことは色々ある。その中でも、当たり前すぎるが最近大事に思えてきたことを書いて終わりにしようと思う。

 

それは、僕が留学中に出会った生活は、僕が帰国した後もそれぞれの場所で続いていくということだ。

ユーチューブで日本のバラエティを見ていて、もしあの有名人が今リスボンを歩いていたとしても誰も気に留めないのか、とある種不思議な心持がしたことがあった。日本では顔を出せばまともに街を歩けないような有名人も、たいていは海外にくれば一般人同然だろう(優雅な暮らしはできるだろうけれど)。それほどまでに日本と違う生活をこの一年間で味わってきた。

これから僕は、日本の有名人が有名人である生活に戻る。そしてだんだん留学中の記憶は薄れていくだろう。しかし、それぞれの場所で時間は流れ続けるのだ。リスボンのピンクストリートは酔っ払いでごった返しているだろうか。アルヘシラスの夫婦は、あの奇麗な庭から対岸のモロッコの灯を眺めているだろうか。マルセイユのあのカフェは、朝日が船の群れを赤く染めるような時間からただ一軒動き始めているだろうか。

僕が直接訪れたのは殆どヨーロッパの国々だけだ。しかし出会い、別れた人たちにもそれぞれの時間が流れていく。留学を終えて南米に戻った人、中東で新しい生活を始める人、アフリカをSUVで行く人、もう数年リスボンに残った後で中国に帰る人。

感じる世界のスケールがちょっとだけ大きくなったというとカッコつけているみたいだけれど、これは本当にそういうことなんだと思う。これからもっともっと大きくしていきたいとも。そして、またいつか戻ってこられますように、とも。

勉強、パーティー、音楽、スポーツ、その他、留学の内容も目標も様々だ。でも、こういう生活がある、こういう時間の流れがあると実感できるスケールがちょっとでも大きくなったのなら、それだけで留学として大成功なのではないか。

 

と、お金も時間も相当かかった留学をまず正当化しておいたところで、文章を書くということ自体についてもちょっと触れておきたい。

こうやって文章を書いて何か良いことがあるのか?ということだ。そもそも最初の理由は日本語力の向上だった。長い間使わなければ日本語がポンコツになってしまうのではないかという危機感があったのだ。そうやってとりあえず書いていくうちに、自分の考えで少しでも他人に影響を与えたいと思うようになってきた。これが文章を書く動機になっていった。

 

最近思う利点がもう一つある。それはのちにまとまった自分の考えを見直せるところだ。

「ブログやっている人を最近よく見るけれど、将来見直したときに絶対恥ずかしいだろ」とちょっと前にひとから言われた。まっっったくその通りで、始めてから一年も経っていないのに既に過去の記事は恥ずかしい。正直読み返そうとしてもとても最後まで行けないものばかりだ。

でもそれが良いところなんじゃないかなと思う。過去の記事を読んで、イタいなあとか、未熟だなと思えるということは、少なくともその分は自分の考えが成長したということなのでは。昔の写真を見て自分の成長や変化を感じられることがあるように、文章でも同じことができればちょっと生活が楽しくなるかもしれない。

 

フェイスブックで「長文ですが...」とか「自己満ですが...」みたいな枕詞がついた投稿が多いのを見ると、長い文章を書くのは恥ずかしいという風潮はある気がする。確かに文章を書くのは自己満足だけれど、そもそも興味のない人は読まないだろうし、特にタイムライン上で目障りなこともないだろう。僕は知り合いの文章を読むのは大好きだ。文体とか言葉の使い方も含めて、普通に話しているのとは違う、その人の内面が出ているような気がする。いろんな人の文章が読みたい。

僕は初期と比べて更新頻度が減ったけれど、何とか文章を書くということは維持して、少しでも面白いことを書きたい。変にカッコつけないように、だんだんと多くの人に読んでもらえるように...

 

ということで、お付き合いいただいてありがとうございました。
皆様にとって2018年が良い年でありますように!